御由緒

歴史

 木内大神は、かつては天之宮(天正年間)や木内大明神(江戸時代)と呼ばれ、社伝に拠れば、大同年間(806~809)に伊勢外宮から豊受姫命(とようけひめのみこと)を勧請し、創建したと伝わっています
 文治2 (1186)年、正二位大納言四条隆房がこの地を領した時に保護し、鎌倉時代には千葉氏六党の一人である東胤頼の次男で木内周辺を領した木内胤朝が社殿を造営、神領を納めて木内・油田・小見・虫幡一門諸氏の祈願所に定めました。
 また、至徳4(1387)年の「香取神宮大禰宜長房譲状」には「小見・木内、神田畠等ノ事」と見えることから、往古は香取神宮神領中の社であったらしい。
 16世紀には小田原の北条氏が社領100石寄進、天正17(1589)年には小見川城主である粟飯原保宗が神田1反を寄進、続いて天正19(1591)年には関東に入城した徳川家康が朱印地7石を寄進、慶長7(1602)年小見川の地を領した土井利勝が馬具一式を納め、寛永16(1639)年領主となった内田正信が幣帛を献じている。この頃には「下総国香取郡木之内庄33箇村之惣鎮守木内大明神」と位置づけられていました。
 これ以降では元文元(1736)年に関宿城主久世大和守が社領を献じ、祈願所と定めたといいますが、判然としません。明治6(1873) 年8月には郷社に列せられています。
 社宝には、北条氏が寄進したと伝わる「伏見天皇宸筆1巻」(堅剛滑澤の鳥子熟紙11枚に草書した長編三首を書する白氏文集中の牡丹芳、百錬鏡、八駿図の長編三首である)があり、これには、堯然法親王(ぎょうねんほっしんのう、天台宗延暦寺の別院門跡妙法院の僧)と比叡山座主の奥書があります。
また、千葉氏の一族が奉納したという鎌倉時代中期の名工、粟田口吉光の短刀一口も残されています。